かんなぎやま

作詞・作曲・アレンジ:FMIC7743/渦音P
歌唱:ボーカル:渦音ヒトvs歌手音ピコ [Haunted-United-Procedure]
BPMは135です。
最終話の序、時系列的には"伝道師の青年"のごせんぞさまのおはなしです。
最終話は2曲構成のつもりだったんですが、どうして3曲目が生えているんですか?
「有耶無耶の境界」 / 「終わらない夏の謌」 / 「かんなぎやま」

「概念連謌の共鳴神話学」(BOOTHへのリンクです)

ちょっとまってね

歌詞

おやまにはいっちゃ いけないよ
ひとりではいっちゃ いけないよ
おやまのうらに すんでいる
おにがあらわれて こんころり こんころり

むかしむかしの そのむかし
むらのむこうの おやまには
おそろしいおにが すんでいて
むらびとたちは ちかづけぬ

あるとき むらに やってきた
たびのとちゅうの おぼうさん
むらびとたちに たのまれて
おにをこらしめに やまへゆく

むこうの やまに おにがでる
おにさんこちら あそびましょ
おそろしいおにが あらわれる
おにさんこちら うたいましょ

こりゃあまいったと やまのおに
こらしめられて こんころり
とじこめられた いしのなか
かんなぎやまの おにたいじ


おやまのおやしろ すまわれる
なまえをいっては いけないよ
かんなぎむらの おかんなぎ
かみさまのうたを くちづたえに かたりつぎ

かみなりやまのおにたいじ(さくら山都市・山下地区)

むかしむかし、かみなり山には「おに」がすんでいました。
何人もの村人が、「おに」におそわれていました。
かみなり山のふもとの村人たちは、「おに」をおそれて
山のふかいところに行くことができませんでした。

あるとき、村の入り口にふたりの旅人がたおれていました。
村人がふたりをたすけると、その旅人たちは
「自分たちは、ふうふで旅をしている、かんぬしだ。」
と名のりました。
たすけてくれたおれいに、村でこまっていることをかい決しよう
と言ったので、村人は「おに」のことをそうだんしました。
かんぬしのふたりは、村で一ばんのもの知りおじいさんといっしょ
に山にのぼりました。

そして、山のおくで「おに」をみつけました。
「おに」はおじいさんにおそいかかろうとしましたが、かんぬし
がそれをとめました。
かんぬしはいっしょにうたをうたって、「おに」をやっつけました。
そして、「おに」のいた場所にあった大きな石にじゅ文をかいて、
「おに」が二どとわるさをしないようにふういんしました。

そして、「おに」をやっつけたかんぬしのふたりは、そのまま村
にのこって、村のひとたちといっしょにしあわせにくらしました。
めでたしめでたし。

※解説
さくら山都市山下・三本松原両地区にかかる「雷山」は、
明治以前の文献では「かみなりやま」「かんなぎやま」
の表記が混在して用いられていました。
わかりやすさにつとめるため、本文では「かみなりやま」
で統一しています。

補遺

わらべうた「かんなぎやま」

♪≒135 4/4拍子 嬰ヘ短調 

■■県山下村周辺に伝わるわらべうた(伝承童謡)。
2人で遊ぶ手遊び歌として用いられている。
この歌では、当地に伝わる化物退治伝説が歌われている。退治する場面を歌った歌詞は失伝したと推測される。
「おやま」は山下村北部にある「雷山」を指し、雷山が古くから村人たちに親しまれていたことがうかがえる。
かつて雷山には鬼が住んでいたとされるが、具体的な伝承・文献はほとんど残されていない。かつて村を訪れた夫婦の修験者がこの鬼を退治し、以来村へ留まったと言い伝えられている。
村人たちは彼らを「おかんなぎ」と呼んで慕っていたようだ。
この「おかんなぎ」の末裔が、昭和1*年頃まで雷山中腹部の■■村に暮らしていた記録が残っているが、昭

唱歌「かんなぎやま」

♪≒135 4/4拍子 嬰ヘ短調 

わらべうた「かんなぎやま」を元に当地に伝わる化物退治伝説を題材として作られた唱歌である。
昭和40年、当時旧山下村立山下小学校に音楽教師として勤務していた■■■■■先生が村の教育委員会から依頼を受けて作詞・編曲。以来、音楽や道徳の授業で歌われるようになる。
旧山下村が合併で消滅する前年(平成20年度分)まで、村が発行する道徳副読本「みんなのやましたむら」に歌詞とスコアが掲載されていた。