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人間は「認識」で生きる生物です。
あなたが足をつける地面、腰掛ける椅子、身体を休めるベッド、そしてあなた自身の肉体。
それらは「そこにある」だけでは何も機能しない、ただの「正体不明な物体」です。
認識の灯で照らすことによってはじめて「正体不明な物体」が「地面」「椅子」として確立されます。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」と言いますでしょう。「知らない」から恐ろしいのであって、それを「知る」ことで恐ろしさは霧散するでしょう。
ええ、勿論「恐ろしいものである」と知ることも大切です。毒の詰まっていると知らずに綺麗な果実を一口、哀れなお話です。

例えば、暗闇の浜辺。どこまでが地面でどこからが海なのか、それもわからない場所に立っているとしましょう。
地面を正しく認識できないので、やみくもに歩いてみましょう。水面に足を踏み入れるかもしれませんね。
あなたは肉体を認識しているので、地面ではない所に足を踏み入れるとそれに応じた振る舞いをみせます。
水面に立つことはできない。足が沈む。浅瀬ならともかく、足がつかないほどの深さであればそのまま海底に沈んでいくでしょう。

しかし、あなたが「あなた自身の肉体」を認識していなければ、どうでしょう。
より正確に言うと、「物理的な制約に左右されない」と認識していれば。
陸地も水面も、あるいは壁なども区別することなく歩き続けることができます。
物理法則があるからそんなことはできない。重力があるから宙に浮かぶことはできない。
なるほど、そうですね。それは一度忘れて下さい。
常識とされるもの、法則とされるものはしょせんあなたを縛っているにすぎない。
認識だけ切り離し、見えるものを見て見えないものを見ない。そこにあるものだけがあって、そこにないものはない。

認識を変える・・・・・・ことで、世界は変わります・・・・・・・・
それは比喩ではなく。
あなたにはそれができるだけの物語を授けました。

……難しいお話ですか。ええ、そうでしょう。今はまだわからなくてもよいのです。いずれ、理解できる日が来ます。
それでは、おやすみなさい。
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