塵芥湖龍神伝説

作詞・作曲・アレンジ:FMIC7743/渦音P
歌唱:渦音ヒトvs歌手音ピコ
「伝承に姿かたちは数あれど 語り継がれる赤き龍の瞳」
胡乱怪奇田舎伝奇歌謡御詠歌。
「じんかいこ りゅうじんでんせつ」と読みます。地名が入ったご当地ソング。

SoundCloud

FMIC7743 · 塵芥湖龍神伝説

本編

絵本「石榴姫伝説」 / 序幕(内容は絵本版とほぼ同じで、まえがきが追加されています)
一幕 / 二幕 / 三幕 / 四幕 / 終幕 / 幕間

塵芥湖龍神伝説 singleEP(BOOTHへのリンクです)

歌詞

始まりは「むかしむかし」の物語

水底のあか一点に柘榴石 秘めた心は湖底そこに沈める

水面は鏡のごとく穏やかに 色なき風を錦彩る

姫君を湖底そこに導く龍神の祟か贄かあるいは愛か

語り部の紡ぐ言霊鮮やかに 描き出される石榴の姫
伝承に姿かたちは数あれど 語り継がれる赤き龍の

色褪せた里に降り立つ渡り鳥 時は移ろえど変わらぬ景色

うつし世の夢を描きたるその様は 神か仏かあるいは鬼か

語り部の紡ぐ言霊鮮やかに 龍神かみの化身はここにあらわれ
伝承に姿かたちは数あれど 後の世に語り継がれし大演義

水鏡に秋空映す塵芥湖

登場人とか物紹介

伝道師の青年
毎度おなじみ旅する胡乱伝道師青年
今回は里鳥サトリと名乗っています。
名字のほうは本編中に出てこないんですが、名前に"ウタ"の音が入らない時は名字のほうに入っていると思ってください
かみさまの少女
毎度おなじみ旅する怪奇少女神
今回はユノといいます。
彩花(あやか)
高校一年生・演劇部。
とあるきっかけで演劇「石榴姫伝説」の主役を演じることになった。
聡美(さとみ)
彩花のクラスメイトで幼馴染。帰宅部。

地名等

埖走(ごみばしり)
山の名前 および村の名前。現在の住所表記は紅葉野市埖走。
埖走山は県内有数の紅葉の名所で、特に塵芥湖の水面に反射する美しい風景が有名。 鉄鉱脈があるが、商業採掘に至る程の規模ではなかった。伝説に伝わる「赤い宝玉」そのものは喪われているが、これはガーネットではないかと推測されている。
塵芥湖(じんかいこ)
カルデラ湖。埖走山の中腹に位置する。
旧埖走村(ごみばしりむら)
2006年4月1日、旧紅葉野市と合併し、紅葉野市埖走となる。村の木は「ぐみ」、村の花は「ざくろ」。
紅葉野市(もみじのし)
2006年4月1日、旧埖走村を取り込む形で合併し、新制紅葉野市となる。市の木は「かえで」、市の花は「ざくろ」
灰塵川(かいじんがわ)
塵芥湖を水源とする川。紅葉野市南部で一級河川・与多川(よたがわ)へ合流する。
岐路沢・女ヶ沢・偽ヶ沢・寺沢
埖走山を流れ、塵芥湖に流れ込む沢。このほかにも名無しの細い沢がいくつかあるとみられる。
岐路沢(きろさわ) 峠道の付近から湧いているとされる。旅人達はこの沢で喉を潤した。
女ヶ沢(めがさわ) 周辺は比較的ゆるやかな勾配、俗に言ういわゆる女坂。多くの人が行き交う。
偽ヶ沢(ぎがさわ) 女ヶ沢のすぐ近くだが、周辺は険しい山道が続く。いわゆる男坂。
寺沢(てらさわ) 錵徒寺のそばを流れている沢。比較的流量が豊富で、埖走村に簡易水道が整備されるまで寺ではこの沢から水をひいて飲料水や生活用水としていた。
錵徒寺(にえかちでら)…山号は埖走山。真言宗系。旧埖走村の家はだいたいここの檀家。
道の駅埖走 じんかい湖アクアパーク
塵芥湖の畔にある公園。湖の北西部にある。
観光案内所と鉱山資料館「ごみばしりマインミュージアム」、売店・レストランが併設されている。また、子供向けアスレチックコーナーや芝生の広場が整備されている。
湖と紅玉島を見下ろす位置に「石榴姫伝説」をモチーフとしたブロンズ像が設置されており、公園のシンボルとなっている。
例年10月20日ごろ(紅葉の見ごろに合わせて前後する)に「じんかい湖紅葉まつり」が開催されている。期間中は湖と川沿いの遊歩道で紅葉のライトアップが行われ、湖の畔では出店が立ち並ぶ。週末にはステージイベントも開催され、好評を期している。
余談だが、「塵」は難読なうえ画数が多く、さらに「ちり」のイメージが悪いことから行政施設などでは「じんかい」とひらがなで表記されることが多い。
同じ理由で、昭和初期の地図では「神海湖」(読みは々「じんかいこ」)と表記されていた時期があった。概ね終戦後ぐらいの時期に元の表記に戻る。

紅玉神社(こうぎょくじんじゃ)

御祭神
高龗神、紅玉龍神
例祭
十月十五日
御利益
五穀豊穣 家内安全 良縁成就
由緒
紅玉神社奥宮 天保五年九月(西暦一八三四年十月)建立
紅玉龍神は当地の龍神信仰に由来する
天保五年に起りし旱魃の際当地の大家主焼山聡岩により建立される
天保五年九月某日、前年某月湖で事故死した聡岩の姪石榴姫の霊を慰める為神社を建て御神体に宝玉を納めることで大雨齎される
奥宮の建つ島は元々名無しの小島だつたが神社に由来し「紅玉島(こうぎょくとう)」と名付けられる
昭和八年に発生した埖走地震の際に奥宮が倒壊、御神体は行方不明
昭和二一年に地元有志の寄付金により、奥宮が再建された
現在は神職関係者以外の立入を禁じている

紅玉神社本殿 明治六年十月一日建立
紅玉島は地形の関係上橋を架けることかなわず、参拝者は小舟で往来していた
その便宜をはかるため塵芥湖北西埖走地区に本殿を置く 同年村社列格

埖走村観光課

その他雑な解説

一応解説を入れておくと「御詠歌」は仏教の教えを歌にしたもの、七五調の詞に歌をつけたものです。 申し訳程度に歌詞もそのフォーマットでととのえておきました。